勤医協札幌看護専門学校【国語】(2022年)じっくり解説【問題2】(9)問九
勤医協札幌看護専門学校の2022年の国語について解説します。勤医協札幌看護専門学校では、過去問題を公開してくれていますので、以下のリンク先から入手して下さい。
入試情報・学費 > 過去の入試問題 | 勤医協札幌看護専門学校 (kinkan.ac.jp)
問題二。今回は問九。いよいよ最後の問題。
本文中に、抜けている文があった、という。
出題者がわざと、本文から1文を抜き取ったんだな。
その文を、もとの場所に入れたいのだが、どこに入れたらいいか。
これも「前後の文脈」を読み取れるかどうかを問う問題、と考えて良さそうですね。
「棄てる神あれば拾う神あり、とはこのことである」
この1文を、どこかに入れたいのですね。
この文が入る直前の五文字を探すのか・・・「棄てる」とあるから、食器棚を棄てた後のエピソードと考えるべきですね。
そうだな。「棄てる」・「拾う」というワードがヒントになっているな。
更に問題文にはこうある。
句点も一文字分として数えます。
これも正解するために大切な注意書きだな。「五文字」を抜き出すのに「句点」も入れないと、正解にならない、と教えてくれている。
じゃあもう、ここしかありません。
最後の段落。
一階ロビーへ行ってみたら、棄てた食器棚、無くなっていたんですね。そこで筆者はこう記しています。
案の定ぼくらの食器棚は影も形もなく消え失せていた。
この文に続くのが
「棄てる神あれば拾う神あり、とはこのことである。」
ですね。
ふぅむ。では、次の文の後では、なぜダメなんじゃ?意味は通るぞ?
マンションの住人の誰かが、こりゃまだ使えそうじゃないの、と判断して持っていったらしい。
この後で、
「棄てる神あれば拾う神あり、とはこのことである」
をつなげても、文として成り立つのではないか?
「このこと」とはどんなことかを考えると、こちらの方が「このこと」を明確に指示していて、正しいのではないか?
惑わされませんよ~。
最後の文がポイントです。
まことにありがたいことである。
これです。
「~である」という文末の表現を、2回立て続けに用いるのは文章表現として「不自然」で「冗長」な表現になりますね。
例えば、有名な夏目漱石の「吾輩は猫である」の場合、
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
この文を、
「吾輩は猫である。名前はまだ無いのである。」
としたら、おかしいでしょう?
だから、文章のテンポや、流れを考えれば、
1,食器棚は影も形もなく消え失せていた。
2,捨てる神あれば拾う神ありとはこのことである。
3,(どのことかというと)マンションの住人の誰かが、こりゃまだ使えそうじゃないの、と判断して持って行ったらしい。
4,まことにありがたいことである。
と記述するのが、最も適切なんです。
いやはや。七海さん、成長したなあ。出会った頃とは別人だなあ。
(↓以下をタップまたはクリックすると「カクヨム」のサイトにジャンプします)
ちょっと、やめて・・・
さて、読解問題の学習で「これだけは」外せない、大切なポイントをまとめるぞ。
・本文の中に必ず手がかりがある
・言い換え、繰り返しの表現に注目する
・文脈を意識する
まずはこの3つ。この3つを念頭において、問題を解いていって欲しい。
そしてこれは全科目にいえることだが、
正解したからOKではなく
なぜそれでなければいけないのか
そこを人に説明できるレベルまで、しっかり考えて取り組むことが、受験勉強を行うにあたって、正しい姿勢なんだな。
受験勉強はひとりじゃつらい。
でも、もう大丈夫。ワシもついとる。
ひとりで苦しいときは、連絡下さい。→お問合せはこちらから。
あなたの合格を、心から祈っています。
“勤医協札幌看護専門学校【国語】(2022年)じっくり解説【問題2】(9)問九” に対して1件のコメントがあります。